「EXOGRAPH」は、私生活データすべてを売買する社会実験プロジェクト。生活費月20万円を支給する代わりに被験者宅へカメラを設置、プライベート情報の収集とそのマネタイズ方法を模索する。仕掛け人 遠野宏季さん(Plasma)に狙いを伺った。
「生きているだけで20万円を差し上げます。ただし、生活すべてを記録します」
まるで漫画のキャッチコピーみたいだが、これは現実の話だ。
社会実験的プロジェクト「EXOGRAPH(エクソグラフ)」(*)の狙いはこうだ。
・人間の生活データは金銭的価値に換算できるのか
・この提言によって人々からいかなる反応が起きるのか
これらの議論を主な目的とする。
AIやロボットの発展に伴い、将来は「働かなくてもいい人」が現れるという。あるいは、労働時間の削減も謳われている。
でも、筆者はかねてからこんな疑問も抱いていた。「その減った分は、どうやってお金を賄うのだろう?」と。EXOGRAPHは、その将来を明るいものとする可能性を秘めていると、直観的に思った。
彼らは、大企業や行政ではおそらく踏み出すことさえできないであろう実験を試みている。
すでにユーザーが気付かないうちに大企業によりデータ収集・売買がされている現状において、公明正大にユーザーにデータ取得を宣言し金銭的対価を提供するExographは果たして倫理的に間違っているのか。これからの社会が直面するこの問題に、正面から取り組むのは重要だと思いました。
―HPより引用
一般参加者を募り、男性2世帯、女性2世帯でスタートする今回の実験。
仕掛け人は、遠野宏季さん(Plasma)。2016年に創業した自動目視検査システムを手掛ける会社を、2018年に大手メーカーへ売却した過去をもつ。
「科学者や発明家といった、技術で世の中を良くする、人を幸せにする人に憧れていた」
彼の、孤独で、壮大な実験を聞く。
【プロフィール】遠野 宏季
京都大学大学院在学中の2016年に、Deep Learningを用いた目視検査システムを開発する株式会社Ristを創業し、2018年末に京セラグループに売却。現在は同社顧問。2019年11月から株式会社Plasma創業、代表取締役として新たな取り組みを始めている。
※運営元である株式会社Plasmaでは一部『Exograph』応募者へのメールを誤送信。損害賠償支払いにて対応中(2019年12月9日現在)
──EXOGRAPHの概略から伺わせてください。
屋内の私生活データを動画で提供する代わりに、その人に最低限生きていけるだろう金額を提供する、という取り組みです。
今後、シンギュラリティーを過ぎ、AIやロボットが発達して働かなくてもいい人が増えるといわれます。働かない人が税金の代わりに社会貢献を行う一貫として、行動データを提供するようなことが出来ないかと考えたんです。公共の福祉のために生き様全てのデータを税金の代わりに納め、組織はそのデータを運用した利益で社会を回せないか、と。
この問いかけで、社会からどのような賛否が起きるのかを知るのが、実施目的の一つです。
もう一つの目的は、EUにおけるGDPRを始めとした、データ経済への議題提供です。現状は、プラットフォームが無料でサービスを提供する代わりに、ユーザーはデータを収集され、意図せず売買の対象にされているのが批判の矛先の一つになっています。
EXOGRAPHではデータの販売を前提とし、公明正大に対価を金銭として提供します。それにより、いかなる反応が寄せられるのか。それでも使う人がいるのかを見たかったのです。
──データはどのように取得する想定でしょうか。
利用者の自宅に、インターネットにつながっていないPCを起き、記録用のハードディスクを接続します。そこへ、壁や天井にUSBカメラを複数台設置し、データを記録し続けます。一定期間が過ぎたところで、それらの設備を弊社が回収し、報酬を支払います。
──つまり、リアルタイムでのモニタリングはしないと。
そうですね。実際に1ヶ月間の記録を実施した場合に、途中離脱はあるのか、利用者の意識の変化があるのかもヒアリングしたいです。
また、あくまで実験。今回取得した私生活のデータについては、弊社でマスクをかけた状態で確認し、実際に売買は行いません。サンプル動画もデータの数分間をマスクして作成し、利用者に確認をとった上で、企業や有識者に「金銭的価値」を推定してもらう予定です。
──実際の反響とは?
思ったよりも、人々からの反応が両極端で面白いと感じました。
参加者の年齢分布は20代や30代が全体の8割ほどを占めています。年収分布でも、無職の方や100万円以下も含まれど、300万円から1000万円以上までの分布が得られました。
──「生活が貧しく報酬がどうしても必要」という人からの応募が来るかと思いきや、実験への理解がある方々がきている?
その傾向はあるかもしれません。
今回の実験に関しては、金銭だけではなくプロジェクトのビジョンや価値観への共感などが応募の有無に関与したのだと思います。アーリーアダプターへの偏りは、もちろん感じていますが。
── ただ、やはりいろいろ懸念の声は大きそうです。いわゆる「監視社会」や「尊厳」、「モラル」の問題など。
そうだと思います。監視社会でいえば「反逆者を先行して捕まえてしまおうといった動きにつながるかもしれない」と。尊厳でいえば「人間がデータを作るだけの生き物みたいに扱われるのではないか」などあるかと思います。
自分の生活行動データが吸い取られ、それだけでメシを食っていることへの疑問が湧くかもしれない。欲求不満は、より良くしていこうというリビドーですから。
そういった部分も含め、今回の実験を通じて問題提起ができればと考えています。
ひとつ、モラルについては、僕は時代や文化によって絶えず変化していくものだと捉えています。それこそ「平安時代は夜這いが当たり前だった」なんて、今ではあり得ない話です。結婚観が数百年で変わったように、プライバシーへの意識も、どんどん変わっています。
数年後に「プライバシーという言葉は日常的には使われなくなる」という人も多い。別に違法なことをしていなければ、他人に見られたとしても「やましいことはないから平気」だし、セクシャルな話も「みんなしているじゃん?」みたいに。
伊藤計劃が書いたSF小説『ハーモニー』では、「プライベート」という言葉はとても卑猥な言葉として捉えられています。今の時代における「プライベートな情報」は社会の繁栄のためにどんどん共有されていく。むしろ、共有されずに残るのは、非常にいやらしいものだけ。社会全体で皆がデータを共有し生活を豊かにする時代に、そこまでして隠したいものがあるという人は今よりも少ないのかもしれません。プライバシーは若い世代を顕著に、どんどん溶けていると思うんです。昔なら、YouTuberみたいにネットで顔出しするなんて、信じられなかった。
──TikTokでも制服から学校が特定されそうですが、誰も気にしないように思えます。
Zenlyもそう。位置情報を共有するなんて、明らかな変化のひとつです。
それらの変化もありますが、現状でも医師には診察で裸も見られ、住所や氏名を知られても、実害は起きていません。もし、動画データを見た担当者が、部屋を特定して押し入ったとなった場合は、それはその人の犯罪です。ナイフを使って罪を犯した人がいたからといって、そのナイフに責任があるわけではないのと同じく、あくまでも責任はその利用者にあると思っています。
──問題は「職業倫理」である、と。
それこそ、動画データを使う側に、高い職能倫理と医療情報を扱うようなセキュリティを求めるのは一案ですね。本質的には、医療データ並かそれ以上のセンシティブな情報がありますから。
──プライベートな光景には、他者へ見せられないものも含まれるように思います。
おっしゃるとおり、動画データを収集する以上、「裸」を含めたセンシティブな状況も映ることを想定しています。
人物はマスクしますが、実証段階では動画データを人間が見ることになる。たとえば、部屋の間取り、テーブル上の書類、電話での会話…部屋だからこその鬼門はある。
今回、EXOGRAPHを実験として位置づけたのは、技術的に超えられていない壁があるのも事実です。
ただ、僕としては検索エンジンの検索履歴や、地図データの行動履歴などと比べ、「どちらがセンシティブなのか」という議論はしてみたいです。
それこそ自分の悩みや嗜好性が反映される検索履歴が流出した方が、私生活の動画が流出するよりも社会的に問題が発生する人もいるかもしれない。
しかも、提供しているデータの価値に見合うだけの対価をユーザーに提供しているのかといった議論もない。EXOGRAPHへの批判は、そのまま既存のデータビジネスにも当てはまります。社会に対して問いを投げかけ、考えを踏まえたうえで選択する、そんな一助にできればと思うんです。
──以前にAmazonの注文履歴が流出する騒動がありました。この情報こそがプライベートを表してしまう。
そうですよね。それから今はAmazonならAmazon、TwitterならTwitterと、アカウントごとにデータが分断されています。人類的な全体最適を考えたときには、本当ならデータは共有したほうがいい。
薬の治験をするにしても、病院内での10日間を観察するよりも、日常生活を通したほうが精度を高くできるかもしれない。アカウントの統合は、社会的にも意義があるんじゃないかなと思っています。
もし、私生活データが換金できたすると、働き方も変化してくると考えています。現在の多くの労働を言い換えると、仮に80年ある限られた命を、1時間数百円~数千円ほどに換金しているともいえます。
有限を前提とした人生の時間を元手に、1日8時間ほど働いていたとして、大まかに20年分くらいを換金するわけですね。
それに比べ、売っても減らない「行動」を提供し、自分は有限の80年でやりたいことをやるという人生は、倫理的には「どちらが優れている」とは言えないような気がしていて。
EXOGRAPHには「売血」や「臓器売買」のようなものだという批判もあります。でも、むしろ「有限である人生の時間」を時間単位で換金しているいまの労働観の方が、これからの社会において「売血」や「臓器売買」のような非人道的なものかもしれない。
── 賛否両論とのことですが、僕は大きな可能性を感じました。個人データを能動的に提供し、お金に変わる手段があるなら、事情があって働けない人にも意義があるはずです。
金銭だけでなく、EXOGRAPHの良い面としては、ライフサイエンスの前進が見込めます。
「体重計へ日々乗るだけで意識して痩せる」というように、実生活を可視化することで、生活習慣の改善も促しやすくなります。それらに起因する病気の未病にもつながります。
──病院の診察で自己申告する生活態度と、可視化された実生活データにズレがあれば、そこに病の理由があることが見えてくる。
そこから、自分と同じような状況の人が、どのように改善したら効果があったのかをわかれば、リアルな対策として有効性が高まるかもしれません。何を食べ、どういう姿勢で眠り、どんな人と会うと、幸せを感じるのか。あるいは、特定の病気を患いやすいのか。そういったことを人類全体で共有できたほうが、よりよいサービスや医療に貢献すると思うんです。
──自分の状態は正確に伝えにくいものです。一日の過ごし方などを可視化できるのは、診察精度を上げる意味でも価値が高いのでしょう。
録画だと、無意識の行動や表情も撮れますからね。バイタルデータだけでない資料です。
他にも、今回の参加者からの声で、「会社と家の往復でむなしく生きているだけの自分でも、社会に貢献できるなら使ってほしい」とか、「孤独死が怖いから撮ってほしい」とかいった動機は、とても興味深かったです。
他にも精神的な疾患がある方や、性的マイノリティーの方もいました。自分の行動を見てもらい、同じような境遇の人への理解を進めたり、そういった人の生活が良くなったりしたら嬉しいという動機があったんです。社会や人とのつながりを感じながら、カメラを通して自分が貢献できる。それによって心を満たす側面もあるのだと思わされました。
──ビジネス面での期待もありますか?
商品開発に関するデータとしての売買は、わかりやすい例の一つです。
たとえば、レトルトハンバーグは「お弁当に便利」とアピールしてきたけれど、実は夜遅くに帰ってきた人が手軽に使っていた。「牛乳は朝に飲むもの」と思いきや、ある一定の層は意外と夜に飲んでいる。そういった無意識にあるニーズをくみ取ってマーケティングに活かせれば、消費者にとって欲しい物が、より生み出される期待はあるのではないでしょうか。
データは「次世代の石油」という比喩があるくらいで、オンラインはすでに取得が進んでいます。オフラインは、その石油を垂れ流しているともいえる。汲み取って誰かのために使えればいいし、使ったほうがいいなという気はします。
技術には両面性があります。データの流出や悪用はたしかに懸念ですが、僕は良い面にフォーカスして考えたいと思っています。
──より具体的な伸ばせそうな可能性、あり得る姿については、いかがですか。
企業の欲しいデータと、撮影されているユーザーが、必ずしも全てはマッチングしないからこそ、今後は「データのマーケットプレイス」みたいな形に落ち着くと見ています。
家に長い時間居て、さまざまにイベントを起こしていたら、商品開発者から求められてデータの値段が上がるかもしれないですからね。
現状でもマーケティング調査企業なら、一律のモニター料を払って、いろんな属性の人を1万人調べた結果を提供するパッケージなどがあります。同じように、提供料金を一律にしてもいいかもしれません。いずれにせよ、ユーザーにとって最もフェアな方法を思考中です。
データバンクよりは、オフラインのデータ活用を軸にした、サービス提供プラットフォームでありたいですね。むしろ、ユーザーが許諾すれば、自身の生活レポートを通じて、外食メニューの提案であったり、保険加入料が割引になったりと、ベネフィットを出せるようにできるといいなと思っています。
──将来的に、動画データをAIなどが認知し、データだけを統計することで、実際の動画を使わない方向性もありえますか?
メタデータだけの活用もあると思います。データをその場で処理して保存せずに消せば、安全性も高まります。ホームパーティしている様子を感知したら、宅配サービスの案内を送ったり、部屋の音楽を変えたりといった展開も可能です。どれだけユーザーが気持ちよく、それらのサジェスチョンを受け入れられるかという限界はありますけれど。
ただ、メタデータの場合は「寝る」や「食べる」といった項目がプレインストールされていればいいのですが、「ビールを飲んでいる時間が知りたい」となったときに、それを検知するモデルを、その都度に開発して導入しないといけません。それは現実的に難しいのではと考えていて。そこは生のデータを人間が見て判断したほうが、得られることも多いはず。
やはり、今はSFの領域を半歩出られていない実験なんですよね。今後も改善し、サービス化するためのアイデアが僕らも欲しいですし、みんなで考えていけたらと思います。
── 最後に、身銭を切ってでも、こういったプロジェクトに遠野さんが取り組む原動力について伺わせてください。
それでいうと、3歳や4歳の頃から、科学者や発明おじさんといった、技術で世の中を良くして、人を幸せにする人に憧れていました。
より良い未来を考えるうえで、SFもその興味の一つなんでしょうね。現実とSFが近づきつつあるなかで、いかにそのギャップを埋めるかを考えるのは面白いです。
たとえば、僕の母親はゴキブリが大嫌いなんですが(笑)、倒した後でも触らずに袋へ入れられるように、長い棒やビニール袋、両面テープなどを組み合わせたアイテムを作ったことがあって。そういう課題解決が、昔から好きだったんですね。
EXOGRAPHに関しては「誰かがやったほうがよいけれど、誰もやっていなくて、自分がやれること」だと考え、やろうと思いました。僕が手を挙げよう、と。
データ活用が中国やアメリカで進む中、日本は圧倒的に後進国です。オンラインはGAFAたちに攻め尽くされてもいます。同時にGDPRの流れや、アメリカだと大統領選挙をめぐるFacebook広告の問題もあり、よりセンシティブになっている領域。
その点、日本では、賛否両論が起き、主に僕の落ち度によるご批判をいただくことはありながらも、EXOGRAPHが前進できています。日本発として、オフラインから価値を作れるサービスができるかもしれない。その可能性をさらに探っていければと思います。
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