D2Cスタートアップの動きが活発だ。サイバーエージェント出身、板垣孝明さんが立ち上げたのはスニーカーD2C。インターネット業界出身の彼はいかにゼロからスニーカーをつくりあげたか。デザインから工場開拓まで、リアルな「モノ」を扱う想像以上の壁がそこにはあったーー。
全2本立てでお届けします!
[1]渋谷発スニーカーD2C『OAO』が刺激する、クリエイターのイマジネーション
[2]ぼくらが欲しいスニーカーは、ぼくらがつくる。渋谷発
スニーカーD2C『EPOQ』板垣孝明
ー「サイバーエージェント」では子会社の取締役まで勤めたと伺いました。そこからなぜD2Cスタートアップを?
もともとファッション・音楽・映画などのカルチャーが好きだったので、ライフスタイル領域の事業を始めたいと思っていました。とくに最近では自分たちでアイテムをつくるハードルもすごく下がってきているし、調達環境も整ってきている。
D2Cはテクノロジーに対する知見・経験とブランディングやクリエイティブへの感性の両方が求められるビジネスです。
ファッションやカルチャーに触れてきて、世の中にウケている空気感や文脈に対して肌感覚があったということ。そして、前職ではWebの世界でプロダクトをつくったり、マーケティングをしたりしてきた経験があったので、ぼくらにもチャンスがあるし、むしろ経験が活かせる領域だと感じました。もちろん、前職でもまだまだやれることはあったかもしれない。でも、やるなら早くやった方がいいと思って、独立を決めました。
また、サイバーの同期、活躍していて気の合う高橋悠介という男との出会いは大きかった。彼と話し合うなかでスニーカーブランド立ち上げが、今とれるベストだと考えました。
ーいわゆるリアルな「モノ」をつくるのは初めてですよね。何から始めたのでしょうか?
まずはシンプルに自分のイメージ通りにつくろうと思いました。
ただ、何から始めればいいかわからないので、とにかくたくさんスニーカーを買い込んで、履いて、を繰り返しました。あとは知り合いのスニーカー好きにInstagramのDMで声をかけてインタビューもして。
「スニーカーに何を求めているのか」
「なぜそのブランドを買うのか」
「現状のラインナップに不安はあるのか」
リサーチを進めるなかでおもしろかったのは、スニーカーは「衝動買いされるアイテム」だと気づいたこと。機能性よりも情緒的な何かに心が動かされている。
それこそNIKEの限定品とかあっという間に売れてしまいますよね。それって結局、バスケ・ランニング・サッカーなどのスポーツの裏側のカルチャーも一緒に買っているということ。機能としての価値以上に、衝動に惹かれるというか。CONVERSEなんてほとんど同じ型でも売れ続けているのは、惹かれる強烈な“何か”があるからだ、と。彼らのスポーツや音楽シーンへのリスペクトとブランドとしての伝統が裏支えしているものだと思うんです。
ーそういったなかでも『OAO』がターゲットにしているのが、クリエイターですよね。
じつは、当初「クリエイターやアーティスト向け」と記載するかどうか決めていませんでした。でも、きちんと言葉にしないとお客さんには伝わらない。ブランドとして認知されるまで時間がかかってしまう。そのことに気づいたのもリサーチのなかでしたね。
ー実際構想からどのくらいのタイミングでサンプルは完成したんですか?
2019年3月の登記のタイミングではほとんどできていませんでした。そのころはラフデザインと工場選定に時間を費やしていて。
ただ、不思議と不安な気持ちはなくて(笑)。仮にサンプルができたとしても最初から完璧にできることは絶対ないですし、ぼくらのデザインも素人に毛が生えたレベルだったので。
案の定上がってきたサンプルも微妙で、8回ぐらいつくり直しました。でも、それでいい。履きやすさ、汚れにくさも大事ですが、ブランドの思想は守りたかった。ものづくりに対する姿勢、プロセスが、すごく大事になると思っていたので。
ーOAO『THE CURVE 1』は洗練されたデザインですが、どなたが担当されたのでしょうか?
本当最初は、知り合いの知り合いを紹介してもらって……という感じです。今デザインをやってくれている串野真也さんとも紹介で知り合いました。
普通だったら断ると思うのですが、ぼくらがあまりにもデカイことを言うからかみんなおもしろがってくれて。それこそ串野さんは年齢も全然上ですが、ぼくらがデザインしているのを横で見て「もう見てられないよ、俺がやるわ」と(笑)。
あと、もうひとつ。年上のみなさんにも応援していただけた要因は、自分たちなりにリサーチできていたからかもしれません。足を動かしてかき集めてきたデータがあったから、あまり不安がられなかったような気がしています。
ー方向性も決まった。仲間も集まった。順調のようにも聞こえます。
いえ、全く順調ではなかったですね。工場探しや生産管理、クオリティーコントロールなどについてはかなり時間がかかりましたね。
でも、やはり関わってくれた生地屋さんや加工会社さんに助けてもらって、管理方法からサポートしてもらいました。
とはいえ、任せっぱなしではいけないし、ノウハウとして蓄積されないので、ぼくらには遠慮なく伝えてもらって、言われた通りに実行して、を繰り返していました。
下町にある工場の中には、ぼくらに信用がないために話をすることも難しいところもいくつかあって。話を聞いてくれたとしてもロットが決まっていたり、単価がすごく高かったり、浅草のホッピー通りでヤケ酒をあおったこともありました。
ただですね、日本のスニーカー業界って外資がほとんどで、危機感を覚えている工場も多い。別のところを紹介してくれたり、一緒にサンプルをつくろうと言ってくれたりして、比較的ポジティブに受け入れてもらえた気がします。
ま、ヘコんでても何も生まれませんからね。
ー結局、サンプルが完成したのはどのくらいのタイミングだったのでしょう?
2019年9月〜10月ぐらいです。そのあと撮影して、3ヶ月ぐらいでローンチにこぎつけました。本当、自分たちだけだったら不可能でしたね。周囲のサポートのおかげでなんとかなりました。……と、いうのもやってみないとわからなかったことですが。
ースニーカーをつくり上げ、板垣さん自身に心境の変化はありましたか?
本当に少しだけですけど、届けたい人たちに届けられたのが嬉しかったし、自信になりました。一度他のクリエイターの方たちとスニーカーにペイントするイベントをやったんですが、来てくれたお客さんたちが喜んでくれたのはすごくホッとした。「走る方向が間違っていなかった」と。
同時に「自分自身がブランドを信じて伝えていかなくてはいけない」ということにも改めて気づいて。下町の工場にはたくさん足を運んだし、反省はたくさんしたけど、すごく意味のある1年だったように思います。
ー最後にこれからについて教えてください。
ブランドをユーザーに伝えて、感動を与えられる体験づくりに取り組んでいきたいと思います。長期的に考えれば洋服とかもあり得ると思うんですが、まずはスニーカーを通じて感動を届けていきたい。誰もが手にとりやすく、気軽に自己表現ができるプロダクトだと思っているので。
いろいろ施策は考えられるんですが、基本は高いレベルでモノづくりを続けるしかないと思うんですよね。目先のテクニックではなく、腰を据えていいものをつくり続けていきたいと考えています。3月に一般発売を正式にスタートさせる予定なので、ぜひ色々な方に手にとってみてもらい、ぼくらのストーリーを感じてもらえると嬉しいです。
>>>[1]渋谷発スニーカーD2C『OAO』が刺激する、クリエイターのイマジネーション
編集 = 白石勝也
写真 = 黒川安莉
取材 / 文 = 田中嘉人
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