2010年~2012年といえば、ソーシャルゲームが爆発的に成長した時期。DeNAとGREEが双璧をなし、激しい競争を演じた。更なる成長を…というまさにその時期に椎名アマド氏はDeNAを辞め、スタートアップという道を選んだ。ソーシャルゲームバブルを経て、エンジニアは何を見据えるのか。
まだまだソーシャルゲーム市場が拡大していた2012年2月。DeNAを退職し、スタートアップという道を選んだ一人のエンジニアがいた。それが、TIMERS CTOの椎名アマド氏だ。
TIMERSは2012年設立。カップル専用SNS『Pairy』を開発・運営しており、2013年12月には総額1億円を調達。今後、夫婦・子育てに特化したアプリのリリースも計画しており、世界展開も視野に入れる。
TIMERSの創業前、椎名氏がDeNAで担当していたのは、『Mobage』スマートフォン版の立ち上げ、そしてスマートフォンアプリ向けゲームエンジン開発マネジメントなど。
パキスタン人の父と日本人の母の間に生まれた椎名氏は、幼少期から「ものづくり」にハマっていたという。プラモをつくる、絵を描く…その延長で小学生にしてホームページを制作するなど簡単なプログラミングに親しんできた。
…が、早稲田大学で専攻したのは、中東・アフリカ情勢などの国際政治。「複雑な仕組みを解き明かしたい」という動機があったと椎名氏は語る。
プログラミングは、夏休みの1ヶ月間、1日6~7時間プログラムを書き続けてJavaを習得(その間、友人からの遊びの誘いは全て断ったそうだ)。その後、モバイルサイト制作会社でのアルバイトでPerlを学び、2010年に新卒でDeNAに入社…と、かなり変わった経歴を持つエンジニアである。
DeNAに入社し、彼はどんな風景を見てきたのか。その先に何を見据えたのか。ソーシャルゲームバブルを経て、次なる一歩を歩み出したエンジニアのキャリアに迫る。
― 椎名さんはDeNAでどのような仕事を?
順を追ってお話すると、入社1年目で主に担当したのは、『Mobage』スマホ版の立ち上げですね。川崎修平さん(DeNA現CTO)直属のプロジェクトで、最初は10人くらいの体制だったかな。その中でマネジメント寄りの仕事をするようになりました。2年目にかけてゲームコミュニティ機能の開発チームリーダーになり、日米共同のゲームエンジンの開発マネジメントに関わって…というのが、DeNAでやっていたことですね。
― 入社して1年目、2年目の話ですよね?…すごいですね。
最初は単純にそういった役割の人がいなかったから、という理由もあって(笑)。ただ、他のエンジニアと比べて自分はどこが優れていて、どこが劣っているか、ここは常に考えないとダメだとは思っていました。
それは入社前から意識していて。就活のとき、エンジニアを志望する学生って理系のエリートばっかりで…「8歳からCを書いてました」みたいな人がゴロゴロいたんです。僕は文系だから、それがすごいコンプレックスだったんですよね。で、自分が有利なところは?と考えた時、バイト先でモバイルをやっていたし、企画からリリースまで一貫してやっていたので、ユーザーの視点がわかる、そこを猛烈にアピールしました。
入社後にしても、プログラミングでいえば素晴らしいエンジニアはたくさんいて。新卒だろうが、10年働いている人だろうが、対等にスキルで評価されるし、そうあるべきだと思っていました。その中で、僕は人と人の間に立つとか、コミュニケーションを取りながらゴールに向けて物事を整理するとか、そっちのほうが好きだし、少しは戦えるかな、と。エンジニアリングも多少わかって、マネジメントができる。ここを強みにしたいと思ったんです。
だから、上長にも「マネジメントのスキルを伸ばしたい」と話をして…DeNAの凄いところはそれをやらせてもらえるところですよね。1年目だからヘマするかもしれないのに…。でも、根拠を示して必要だと思ったら動いてOKなんです。変な社内政治もない。すごくフラットでした。
― 入社してからマネジメントを担うようになるまで、マインド面の変化はありましたか?
じつは、入社してすぐに携わったプロジェクトが大きくひっくり返った経験があるんです。「おかしいじゃないですか!」と上司にも食ってかかって。後からその上司に聞いたら「生意気で変なやつだと思った」と言われました(笑)。入社してすぐだったし、右も左もわからない。とにかくまわりに追いつこうと必死で、焦りがあったのかもしれません。
で、新しいプロジェクトにしても、決まっていないことが多かった。開発者は何人必要で…誰がマネジメントして…と。その時、「先が見えないからダメ」じゃなくて「どうすればゴールに向かえるのだろう」という部分に気づかせてもらえました。
ゴールのために何が必要か?ここだけを考えるようになったら苦しさや焦りが消えて視界がクリアになっていった。その挫折がなければ、ゴール指向になかなか気づけなかったかもしれません。
― 椎名さんがDeNAに在籍した2010年~2012年といえば、ソーシャルゲームが爆発的に成長した時期ですよね。
そうですね、前半はフィーチャーフォンが爆発的に伸びて、スマホへの移行が進んで。外向けにはイケイケだったから上手くいっているように見えていたと思います。ただ、「先々大丈夫か?」と感じる人はいて。WEBか…ネイティブか…先手を打たないといけない、と。だから、ネイティブのSDKをつくろうとか、ディベロッパーに対していろいろなソリューションを提供しようとか、そういった動きもありましたね。
― 同時にコンプガチャの問題が表面化したり、社会的に問題視されるようになっていきました。当時、ソーシャルゲームをご自身ではどのように捉えていましたか?
趣味の問題もありますが、いちユーザーとしてはライトなゲームがそこまで好きではなかったので、どちらかといえばビジネスとして捉えていたかもしれません。もちろん人によっては「みんなに楽しんでもらうために」という思いでやっていた方もいたと思います。ソーシャルゲームはおもしろいコンテンツがあってこそ成り立つもの。ちょっとした暇つぶしだったり、つながった人たちや友だちと一緒に遊べる楽しさだったり。それは素晴らしい価値だと思います。
ビジネスモデルとしても優れていて、ユーザーの心理に合わせた絶妙な課金タイミングや、それを最大化させるためのパラメータ調整など、そういった考え方についてはすごく勉強させてもらいました。ただ、「どう顧客を幸せにするのか」よりも「どのようにして利益を追求していくか?」が重視されてしまう事もあり、それに対する疑問も少しずつ感じてしまいました。
そういった意味で、仕事の意義を信じ切ることができなくなってしまったのかもしれません。仕事も好きだし、優秀な仲間もいて、本当に素晴らしい会社で…。でも、「仕事や会社が好き」ということと「仕事に信念を持てている」ことは別ですよね。
自分としては「顧客を心の底から満足させて、幸せな気持ちでお金を使ってもらう」という想いを追求したい、そんな気持ちが強くなっていって。たとえば、アマゾンは顧客満足度を徹底的に追求するやり方ですよね。満足して買い物をしてもらうためにひたすら安く商品を提供する。商品を注文したらその日のうちに届く。嬉しくて「すぐ届いた!すごい!」と体験を誰かに伝えたくなる。短期的な利益を多少犠牲にしてでも、最高の体験を顧客に提供することで長期的に顧客の心を勝ち取り、ビジネスとして成功してるんです。それってすごく理想的ですよね。
― 仕事に信念を持てなくなってしまったことが、DeNAを辞めた一番の要因だったのでしょうか?
いえ、DeNAの社内でも新規事業が立ち上がっていて、それをやる選択肢もあったと思います。でも、入社する前から自分でつくったもので誰かを喜ばせて、それでご飯を食べたいという思いがあって。だから、もともと入社3年くらいでは起業したいと考えていたんです。
ちょうどその頃、TIMERS創業メンバーの高橋と田和と出会って。一人ならいつでもできますけど、人との縁って掛け替えのないものですよね。出会いが重なったその瞬間を逃すともうやってこない。だから、思いっきり賭けてみようと思ったんです。
― 当時、DeNAは売上を伸ばしていて…下世話な話ですが、年収も一気にさがったのでは?
たしかに最初は厳しかったです(笑)。貯金を切り崩していって。ただ、生活に苦労しなければ、それで充分かなと。
一番大きな変化って、年収が減ったことより「自分の給料を自分で稼ぐ」という意識の変化かもしれません。会社に勤めていたら、ちょっとダメな仕事をしても怒られて終わり。よっぽどダメなことをして減給で、とんでもないことをやらかしてやっとクビになる。
だけど、自分で会社をやると、ミスが重なったり、自分が怠けたりしたら、すぐに給料が入らない状態になる。この感覚の切り替わって大きいです。明日のご飯代を自分で稼ぐ。だから、最初は受託もやったし、オフィスもなかったからマクドナルドでやったり(笑)。
ググりながら請求書をつくったり、税金対策したり…本当にいろいろ考えるようになりましたね。当然、ネイティブアプリ開発のノウハウもなかったから、設計もUIも全部手探りでした。とにかく泥臭く、何度も仕切り直していって…。ちょっとメディアに取り上げられてもユーザーはつかないし、デイリーの会員数も小さい。「そもそも良いものがつくれていない。やばいぞ」となりました。だから、プロダクトの質を最優先にしていて、今もその指標は変わっていません。そのためにもよいチームをつくっていきたいですね。
呪文のように唱え続けている言葉があって、それがDeNAで学んだ、「誰が言ったか」ではなく「何を言ったか」という言葉なんです。偉い人の「鶴の一声」で物事が動くのではなくて、情報の内容が正しいかどうかを最重視する。言葉だけではなく、本当にDeNAで働くみんながそのスタンスだった。これは会社がどれだけ大きくなっても残り続けると思います。
― 最後にエンジニアのキャリアについてのお考えを聞かせてください。
今は時代の流れとして、ソーシャルゲームのバブルみたいなものが少しずつ落ち着いて、エンジニアがあらためて「自分って本当は何をやりたいのか」と見つめ直すタイミングがやって来ているのかな、という印象はあります。
プログラミングというスキルさえあれば、別に何をやってもいいわけですよね。誤解を恐れずにいえば、選びさえしばなければ、生活ができるくらいはプログラミングで稼ぐことができる。で、僕はお金じゃなくて、家族に胸をはって「こういう人を幸せにしているんだよ」と自負できることがしたくて、今はそのスタート視点にいると思っています。TIMERSでも「プログラミングという能力を使って本当は何をやりたいのか」を見つめ直しているエンジニアの受け皿になりたいと思っていて、常に新しい仲間も募集しており…という、まぁ採用的なメッセージでもあるんですけどね(笑)。
― もしかしたら「自分は何を大切と感じるか」といった価値観が、エンジニアの仕事、そして生き方により密接に結び付いていくのかもしれませんね。本日はありがとうございました!
(おわり)
[取材・文]白石勝也
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