宮﨑富夫さんは約8年勤めたホンダを突然退職。大正9年から続く老舗旅館『元湯陣屋』代表に就任した。ホテル・旅館向けクラウドアプリケーション『陣屋コネクト』を開発し、旅館×ITでイノベーションを起こす。「エンジニア」と「旅館経営者」2つの顔を持つ宮﨑富夫さんのキャリア、そしてIT改革の裏側に迫る。
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旅館×ITで、日本の“おもてなし”にイノベーションを!『陣屋コネクト』の挑戦
― まずホンダのエンジニアから老舗旅館のオーナーに転身されたきっかけから伺ってもよいでしょうか。
私は、老舗旅館「元湯陣屋(以下、陣屋)」のオーナー家の長男として生まれ育ったのですが、大学卒業後に選んだ進路は「本田技術研究所(以下、ホンダ)」の研究エンジニアでした。その道で生きていくつもりだったのですが、旅館のオーナーをしていた父の他界や女将をしていた母の入院が重なり、陣屋の経営者が不在になる中で、リーマンショック後の売上低迷もあり、旅館が存続の危機に直面したのです。
外資ファンドへの売却なども含めて色々と解決策を模索したのですが、自分が生まれ育った旅館の再生を、他人に任せて上手くいかなかったら絶対に一生後悔する。後悔したくないので自分でやるしかない!という想いに至り、旅館勤務経験の無いまま、ホンダを辞めて陣屋の新代表に就任しました。
― かなり思いきったキャリアチェンジですよね。
そうですね。当時は子どもが生まれた直後で、「この子のためにも自分が頑張らなくちゃ」と奮い立つ想いもありましたし、OLだった妻も陣屋の新女将に就任してくれて、全面的にサポートしてくれたのが励みになりましたね。
私は旅館での修業期間がなく、先代オーナーからの引継ぎもなく、突然の世代交代で待ったなしのシチュエーション。その中で旅館存続のために短期間で業績改善をする必要があり、これまでにない思いきった改革を断行するしかない状況で、「旅館×IT」による打開という方針を打ち出していくことになったのです。
― そしてクラウド型旅館システム「陣屋コネクト」を開発されたわけですが、当初から自社で開発するビジョンがあったのでしょうか?
いえ、市販されているホテル・旅館向け予約・顧客管理システムの導入も検討したのですが、カスタマイズ性、オープン性、トレンドへの対応性を考慮するとなかなかマッチするものがありませんでした。
また、厳しい経営環境の中、投資に回せる予算が限られていましたし、陣屋の規模の旅館で自社サーバーを保守・管理するのも現実的ではない。
ITは「所有」するものではなく「利用」するものだというマインドは、エンジニア時代からの経験で持っていたので、それならクラウド型のプラットフォームを活用して、自社で最適な基幹システムを構築しようと考えるようになったのです。お客様の情報を扱うわけですから、もちろん信頼性という部分も慎重に検討しました。オンプレミスであれ、クラウドであれトラブルが絶対に発生しないシステムは存在しないわけで、システム稼働状況をWebでリアルタイムに確認できるかどうか?という点を重視して選定しました。
― さすが元エンジニアらしいシステム選定眼をお持ちですね。そのあたりはホンダでの経験が活きているのでしょうか?
ホンダでは、次世代燃料電池の研究開発が仕事でしたから、「陣屋コネクト」のような基幹システムをフルスクラッチで開発するのとは少し勝手は違いますね。
実際、セールスフォース・ドットコム社のクラウドプラットフォーム上での開発を担当したのは、旅館スタッフとして応募してきたシステムエンジニアの男性社員なんです。
そういった意味で、ホンダで教わった「松明(たいまつ)は自分の手で」「コア技術は自分でやれ」という経営マインドに関する部分は役立っていると思います。私はオーナーとしていかに売上アップ&経費削減を実現できるか、そして効率的な旅館運営体制を整え、従業員がお客様と接する時間を増やし、顧客満足度を高められるかということに注力しました。
― そのマインドがベースにあったからこそ、IT化への舵を思いきって切れたわけですね。システム開発にあたって旅館経営のノウハウも必要だったと思いますが?
システム開発と並行して、都内のホテル学校に通い、ホテルマネージメントを学びました。そこで学習したことを陣屋に持ち帰っては、システムエンジニアの社員と議論を重ね、必要な機能を開発していきました。
地元の旅館組合に加わって頼るということはしませんでしたね。日本の旅館の横のつながりって、ウェットな部分が大きいですからね。そこに割く時間的余裕はなくて、とにかくスピーディーに経営TOP、エンジニア、そして現場の意見を融合させ、高速でPDCAをまわして開発していきました。
― 既存の体質にとらわれず、改革を熱く進められたのがヒシヒシと伝わってきます。その熱意を現場スタッフに受け入れてもらうのも大変だったのでは?
旅館での勤務経験がないトップが大改革をするわけですから、当初は現場も困惑したと思いますよ。なので、社内への普及活動には特に心を砕きました。一番効果が大きかったのは、会社の経営状況をオープンにしたことですね。
これまでは紙の帳簿と、旅館内に1台だけあったパソコンで管理していて、帳簿からパソコンにデータを移すのにタイムラグがあり、誰もが見られる環境でもなく、危機意識を共有できていませんでした。
そこで、自社開発した「陣屋コネクト」でデータを一元管理化し、それぞれ手元のデバイスでリアルタイムに確認できるようにした。そうすることによって全スタッフが当事者意識を高められたのが大きかったです。加えて、紙の予定表の廃止、昼礼・夕礼の廃止、連絡ノート・ホワイトボードの廃止、タイムカードや発注・修理依頼票の廃止などなど、陣屋コネクトにログインしないと仕事にならない業務環境を構築していきました。その結果、「これはもうITでやるしかない!」という流れをつくることができましたね。
― 当事者意識の共有と、やるしかない環境の構築の2つがハマったんですね。
そうですね。ホンダでプロジェクトリーダーをしていた時も、年上のスタッフとガツガツやりあっていましたし、ロジカルな仕事の進め方は心得ていたので、その経験が生かせたのだと思います。
あとは、スタッフにとって使いやすいデバイスを自由に選択できるようにしたのも良かったと思います。フロントのスタッフはPC、ドアマン&仲居さんはiPad mini、営業はスマートフォン…このように仕事の内容や個人の好みに合わせて使いやすいデバイスを選んでもらうことで、新システムへの心理的なハードルを下げられたのかと。やはり、システムは使ってもらってなんぼですよ。
フロント・客室・レストラン・調理場・営業先など、スタッフが各々の担当場所で最新情報を瞬時に共有できれば、会議に時間を割く必要が減りますし、社内SNSにスタッフ全員が参加するわけですから「言った・言わない・聞いていない」のトラブルも解消できます。
スタッフが発信したメッセージに対しては私も含めて女将やマネージャーら上長がきっちりコメントを返したり「いいね!」することも組織の一体感を生むには重要だと思います。
― 陣屋のIT改革は、従来の旅館運営に捉われない思いきりと、緻密な現場分析、ホンダで培ったエンジニアマインド、そして宮﨑さんのと熱いスピリッツが融合できたからこそ実現できたのだということがよくわかりました。本日はありがとうございました!
[取材・文]鈴木健介
文 = 鈴木健介
編集 = CAREER HACK
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