プログラミング言語「Ruby」の生みの親であるまつもとゆきひろ氏が、ラクスル株式会社の技術顧問に就任。いま、まつもとゆきひろ氏が持つ危機感とは?
1995年に公開されてから、オブジェクト指向スクリプト言語として、世界中の多くの開発者に支持されている「Ruby」。まつもとゆきひろ氏は現在、計6社の技術顧問を務めている。
まずは、まつもと氏の働き方・顧問としてのワークスタイルについて紹介しよう。
僕は普段、島根にいるので、月に1回くらいのペースでSkypeミーティングをするというかたちでお手伝いしています。話す内容は、Rubyのこと、周辺のコミュニティのこと、プログラミング言語のことなどについて。それからソフトウェア開発で痛い目を見たときの話や、とくに業界から遠い人が持っているオープンソースに対する誤解についてもお話します。僕の話を聞いて、エンジニアの方が「まつもとの話おもしろかった」と思ってくれたらいいなと。そういう”福利厚生型”の技術顧問を目指して、お手伝いさせていただいています。
場所にしばられることなく、顧問としての役割を担っているという同氏。多くのエンジニアにRubyが支持されている一方で、抱く危機感もあるという。いったいその危機感とは?
[プロフィール]
まつもとゆきひろ
1965年生まれ。鳥取県米子市出身。筑波大学第三学群情報学類卒業。プログラミング言語Rubyの生みの親。株式会社ネットワーク応用通信研究所フェロー、一般財団法人Rubyアソシエーション理事長、ラクスルをはじめとした複数社の技術顧問、Heroku Chief Architectなど、肩書多数。三女一男犬猫一匹ずつの父でもある。温泉好き。島根県在住。牡羊座。O型。
そもそも”良い言語”と”悪い言語”の定義は存在しているのか。こういった問いに対して、まつもと氏は「客観的な判断は難しい」としながらも、独自の捉え方について語った。
自分の持っている課題がきちんと解決できればそれが”良い”言語だと思います。課題解決ができれば、それがRubyなのかPHPなのかJavaScriptなのかは問題じゃない。ただ、開発者という立場では少し違います。Rubyがあらゆる課題に対して一番”良い”ツールになるようにしていかなければなりません。
そんなまつもと氏は、インテルの創業者アンディ・グローブ氏「Only the Paranoid Survive(偏執だけが生き残る)」という言葉に共感するという。
「現状に満足してしまったら、Rubyが明日消えてなくなってしまう」という気持ちでとにかく手を打っています。もちろんRubyは良い言語だと思っていますが、今でもライバルはたくさんいるし、これからもきっとどんどん出てくるでしょう。それに、今のRubyには苦手な領域があるわけです。死なずに生き残るためには、より広い領域で戦えるように進化させていかなければならないんです。
ツールとして言語を使うエンジニアにとって、極端なことを言えば課題を解決できさえすれば、言語の種類は関係ない。一方、まつもと氏のように言語そのものを開発する立場では、どれだけ多くの領域でエンジニアに最も良い言語として選ばれるかは死活問題のようだ。
フロントエンドエンジニアとかアプリエンジニアって、10年前は影も形もなかったでしょ。なかなか未来のことはわからないですが、OSとかプログラミング言語って基本的に寿命が短いんですよね。今、主流のアプリだとかUIだって、10年後はまったく違うものになっているかもしれません。Railsも、どんどん出番が少なくなってきていますよね。死なないためには柔軟性と適応力を持って進化していかないといけません。
Rubyコミュニティの運営者という立場でもあるまつもと氏。コミュニティ運営において心がけていることがあるという。
公正であること、フェアであることは心がけています。たとえば「半年ROMれ」なんて言葉がありましたけど、Rubyに出会う時期が遅かったっていうのはその人のせいじゃない。コミュニティって、新参者は発言しにくい雰囲気があるけど、そういうのは嫌なんですよね。新しい人だって、アイデアがあるならどんどん発言してほしい。JavaScript出身だからダメとか、日本人じゃないからダメとか、そういうことは絶対言いたくないです。まあ、JavaScriptの機能でこういうのがあるからこれをRubyでもできるようにっていうのは、ちょっと無理なんだよねってことが多いんですが…。頭ごなしに否定するような、理不尽なことはしたくないです。
Rubyが「柔軟な言語」と言われる所以は、まつもと氏の人柄にあるのかもしれない。
また会場からは、エンジニアならこだわる人が多い作業環境について質問が及んだ。「僕、環境にこだわるタイプじゃないんですよね。」と話しながらも、キーボードについてはかなりのこだわりを持っているようだった。
ほとんど自宅で仕事をしてるんですが、椅子はとくにこだわりはなくて、こたつに座椅子です。PCはずっとThinkPadを使ってます。キーボードに赤いポッチがあるじゃないですか。トラックポイントっていうんですけど、あれを使いたいんですよね。だからThinkPadをディスプレイに繋いで、ThinkPadのキーボードを手前において作業してます。あと、日本語入力のとき、右手が母音、左手が子音って配列をいじってるのはこだわりかもしれないです。
中学生のころからプログラミングをしていたというまつもと氏。まさにベテラン中のベテランエンジニアといえる。エンジニアとして幸せ感じる瞬間は、どんな時なのだろうか。
自分が「こうやって動いてほしい!」と思って作ったソフトウェアが思い通りに動いたときは、自分で自分をほめたくなりますね。普段は自分をそんなに良いエンジニアだとは思ってないんですが、そんなときは俺、才能あるんじゃないかな!?と(笑)その気持ちは、ソフトウェア開発のモチベーションにもなっていますね。まあ、たいていその後バグが出てがっかりするんだけど…(笑)
まつもと氏がRubyの開発に着手したのが1993年、2年後の95年に公開。プログラミング言語として海外も含めて話題となったのはさらに10年後の2005年ごろだった。そんな20年あまりの歴史のなかで、まつもと氏が印象に残っている出来事があったという。
2001年にアジャイルソフトウェア開発宣言というのがあったんですが、そこに署名した17人のうち半数以上がRubyを使ってくれてたんですよ。中にはRubyに関する著書を持つ人までいました。知る人ぞ知る言語になったと感じたこのときは嬉しかったですね。それから、Simulaってオブジェクト指向言語を作ったクリステン・ニガードに「すべてのオブジェクト言語は孫みたいなもんだ」と言って声をかけてもらえたこともあります。そういう業界の超有名人に会えたり、存在を知ってもらうというのは感慨深いですね。
まつもと氏が20年以上の歳月を注ぎ込んできたRubyは、プログラミング言語として、今後も進化を続けていきそうだ。すでに、世界的に認められた言語であるにも関わらず、生き残るために現状に決して満足しないという姿勢は、多くの人の心に響くのではないだろうか。
※今回の記事は、ラクスルオフィスで開催されたミートアップイベント「まつもとゆきひろ先生を囲む会」において語られた内容をまとめたものです。
(おわり)
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