2013.03.08
ジョブズに学ぶ“死のレッスン”―ネット寺院開祖 松本紹圭師のライフキャリア論[3]

ジョブズに学ぶ“死のレッスン”―ネット寺院開祖 松本紹圭師のライフキャリア論[3]

仏教界のイノベーター 松本紹圭さんの人生論インタビュー最終回。これからの時代、経済的な成功ではなく、“気持ちの充実”こそが幸せな人生のキーファクターになるという松本さん。とはいえ人間、ついついお金や名誉に引っ張られてしまうものでもある。私たちは、いかにして自分の心を律していくべきなのか?

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▼インタビュー第1回はこちら
自分にとっての“成功”をどう定義すべきか?―ネット寺院開祖 松本紹圭師のライフキャリア論[1]  から読む

▼インタビュー第2回はこちら
“幸せを掴もうとしない”ことで始まる、幸せな人生―ネット寺院開祖 松本紹圭師のライフキャリア論[2]  から読む

さまざまな誘惑・雑念の中で、自分を律するために。

― これからの時代、経済的な成功や貨幣的な充実ではなく、精神的な心の充実が大事になってくると仰いました。それから自分という存在は、周囲の人たちとの“ご縁”あってのものだと。


とはいえ、それでもお金や利己的な名誉欲に引っ張られて、考えが揺らいでしまうこともあると思います。そこで自分を律して、自分にとって本当に大事なものを見つめるためには、どうすればいいのでしょう?

“死のレッスン”をすることが重要だと思います。

自分の人生を考えたときに、自分という器の中に宝石を貯めこんでいくようなイメージを、おそらく皆さんかなり強烈に持っていらっしゃるかと思うんですね。

でも、結局は最後に全部ひっくり返して捨てなければいけない。私たちは、いつか必ず“死ぬ”からです。“死ぬ”という事実をもって迫っていくと、貯めこむことに意味を見い出すことが難しくなってきます。

仰るとおり、日々の中でついついシステムの側に引っ張られて、お金や名誉にとらわれてしまうこともあると思います。だからそういう意味でも、“死”ということを日頃から意識することは非常に有効なんですね。



― なるほど、それで“死のレッスン”。


ええ、スティーブ・ジョブズは絶対にやっていただろうと思います。よく知られているスタンフォード大学でのスピーチで、「毎朝、鏡に向かって“いま自分がやらなきゃいけないこと”を確かめる」と言っていましたよね。

「仮に今日、自分が最期の日を迎えるとしても、今やろうとしていることをやるだろうか?」

そう、自分自身に問いかける。そして何日間も NO が続いたら、「これはちょっとまずいぞ」と軌道修正していた、というエピソードです。

これは彼にとっての死のレッスンであり、毎日の“再生の儀式”だと言えます。昨日までの自分を一旦捨てて、まったく新たな気持ちでやっていくための、そしてそもそも人間は常に“ゼロ”の状態にあるんだということを意識するための儀式です。

そうすると昨日までの自分を引きずらなくてよくなるので、本当に良いもの、価値のあることをやっていこうという思考になる。だからこそ、突き抜けたクリエイティビティやイノベーションを生み出すことができたとも言えるわけです。

浄土真宗の場合、システム側に引っ張られがちな私たちを本当に大事なものへと引き戻してくれる“死のレッスン”として、“念仏”というものがあります。念仏とまではいかないにしろ、例えば時々ふらっとお寺に行ってみるなど、同じような習慣を、普段の生活の中に取り入れてみるといいかもしれませんね。そうして、自分の死について考えてみたり、いつかやってくる死を意識しながら今の人生を考えるだけでも、ずいぶん違うと思います。

現代人は、自分の死というものを、できるかぎり考えなくて済むような仕組みの中にいます。でもその先には、生きる意味が分からない、生きている実感がないという空虚な感覚しかありません。死がなければ生もない。その感覚を、システムの側から取り戻すことが重要だと思います。

そうすると、キャリアの選び方も、「自分のスキルを高く買ってくれる会社はどこだろう?」という選び方ではなくなってくるのではないでしょうか。もちろんこの経済社会で生きていく上で多少は必要な考え方だとは思いますが、お金だけで全て決めてしまうと、本当に自分の人生が分からなくなってしまいます。他人が作った価値観で自分をはかるのではなく、自分自身の価値観を、自分できちんと作らなければいけませんよね。それは他の人が代わりにやってあげられる類のものではないと思います。

自分の人生と本気で向き合える、幸せな時代に。

― 他人の人生ではなく自分の人生を生きよう、というのは、スティーブ・ジョブズのスピーチでも語られていたことですよね。


ええ、他人の人生を生きているうちに人生が終わってしまうことが、やっぱり一番の悲劇だと思うんです。

私自身、大学時代には人並みに就職活動をしたこともあります。自分の特長を考えると、広告代理店がいいかななんて考えたり。

でも、いい大学に入って、いい会社に入って…というキャリアに、明確な目的意識があるようには思えない部分もありました。そうするほうがいいと言われているからそうしているだけなんじゃないかと。

それでは、自分のキャリアを歩んでいるとは到底言えませんよね。メンタリティとしては非常に幼児的。お母さんが褒めてくれるから…という思考回路とほとんど一緒です。



それなりの会社に入れば、それなりの人生が送れるという時代ではなくなり、これからいよいよ大変な時代になるよと言われています。

自分の人生に向きあわなければならないのは、確かにしんどい。ですが、こんな時代でもなければ、何となく日々を過ごして、何となく人生を終えていく人が、ものすごく多かったと思うんです。

今の時代を生きる私たちは、それじゃダメなんだということに、容易に気づくことができる。これはむしろ、とても幸せなことなんじゃないかと思います。

“自分の心を、より良い状態に保てる”キャリアを選ぼう。

― それでは最後に、自分の進むべきキャリアを見定める上で、どんなことを意識すべきなのかか、アドバイスをいただけますか?


どんなことであれ、決断や判断の背景には、“他の人からの影響”があるものです。キャリアを選ぶ際も、たとえ自分自身の判断でのみ決めたように感じられたとしても、実際は、いろんな人との縁があって、その中で判断をしているというのが正しい。この“縁”のメカニズムをきちんと認識することが重要だと思います。

その前提の上でお話すると、縁といっても良い縁もあれば、悪い縁もあります。では、縁の良し悪しというのは、何をもって判断すればいいのか。一つアドバイスをするとすれば、損得だけで判断しないようにする、ということです。損得ではなく、その縁に触れることによって自分の心が“汚れてしまう”かどうか。心がより自由になるか、あるいは縛られるのか。そういう軸で縁というものを丁寧に見ていくようにすると、本当に大事なものだけを選べるようになってくるんじゃないかと思います。


― 縁というのは、先ほど仰っていた“インドラの網”のお話ですよね。(※第2回を参照)自分という存在は、周囲の人との関係性の中にあるものだと。


そうです。その考え方でみていくと、無意識のうちに自分で自分を縛っていることに気がついてくると思います。

そうなれば、本当に自分にとって大事なことが何なのか、見えてくるはずです。そして、周囲との関係性と切り離されたところで「オレは○○がしたいんだ」と考えることが、あまり意味を持たないものになってくるでしょう。

そうではなくて、自分を自分たらしめている“縁”に対して、自分自身がどういった役割を果たすべきなのか。やるべきことが必然的に見えてくると思うんですよね。

そうなると、あとはそれほど迷うことはなく、自分ができること・やるべきことを、その時々でやっていくだけになるんじゃないかと思います。


― まずは、縁というものを損得ではなく、“心”ではかることから始まるわけですね。


ええ、そうです。決して難しい話ではないと思いますよ。誰だって、気持ちのいい人と仕事したいですよね。そう思ったら、気持ちのいい仲間がいそうなところを探すのはもちろんですが、まず自分自身が気持ちのいい人になりましょう、ということです。そうすれば、次第に風通しのいい縁が自然とやってくる流れができてきますから。


― 周囲の人を輝かせることで、初めて自分も輝くということですね。今日は貴重なお話をありがとうございました!


(おわり)


編集 = CAREER HACK


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