2015.07.22
「ママになっても仕事への情熱は変わらない」STRIDE 石田裕子に聞くママだからできる“活躍の仕方”

「ママになっても仕事への情熱は変わらない」STRIDE 石田裕子に聞くママだからできる“活躍の仕方”

「女性の”はたらく”を応援する」をコンセプトとするSTRIDE、社長の石田裕子さんは2人の子どもを育てるママでもある。サイバーエージェント初の女性営業統括に抜擢されるなど、20代の頃からマネジメントの仕事を経験してきた。ママ社長ならではの部下の育て方、働く女性へのアドバイスなどを聞いた。

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[プロフィール] 石田裕子
2004年にサイバーエージェントに入社。広告営業として実績を残し、リーダー、マネージャー、女性初の局長、統括といったポジションを歴任。2011年にスマートフォン向け「Ameba」の開発に携わり、2013年に子会社の代表取締役社長を務めた後、2014年9月より「女性の”はたらく”を応援する」をコンセプトにするSTRIDEを設立し、代表取締役社長に就任した。私生活では2児の母でもある。

「女性の活躍推進」は男性の意識を変えないとダメ

― クラウドソーシング「Woman & Crowd」で女性の”はたらく”を応援しているSTRIDEですが、女性会員16万人を約10ヶ月で突破したと伺いました。


ありがとうございます。今後はクラウドソーシング事業だけでなく、「女性支援につながる新たなビジネス」をどんどん生み出していこうと考えています。

今って女性のキャリアが二者択一ですよね。「会社を辞めるか、辞めずに残って様々な制約の中で働くか」という選択肢しかない。そこに対してSTRIDEは、時間や場所にとらわれずに働ける、新たな選択肢を提案したいと思っています。働きたくても不本意ながら辞めざるを得なかった人たちに、〝朗働〟(※仕事に喜びや達成感を実感しながら朗らかな気持ちで仕事をすること)ができる場を提供したい。


―女性向けサービスを運営する会社となると、社員は女性が多いんですか?


今、20名弱の社員がいますが、男女比は半々くらいですね。女性向けサービスだからといって、女性だけで運営すべきというのは短絡的な解釈だと思います。

「女性の支援」って、女性だけが言っていても意味がないんです。

今、「女性の活躍推進」が叫ばれていますが、女性とともに働く、企業の男性社員自体が意識を変えていかないと女性の活躍は推進されないと思っています。

ママになっても仕事への情熱は変わらない

石田裕子さん


― 石田さん自身、仕事と子育てを両立されてますよね。そのなかで不安や葛藤はないんですか?


葛藤は確かにありますが、「仕事も子育ても両立しなきゃ」と気負っているというよりも、マイペースに自然体でどちらもそれぞれ頑張る、というスタンスですね。

第一子を妊娠中に「営業統括」のポジションの打診をいただいたり、第二子出産後に復帰と同時に新たな事業を立ち上げたり。目まぐるしい変化やチャレンジし続けられる環境の中で、ずっと走り続けている感じです。


― 妊娠中に新しいポジションへの打診があり、そこにチャレンジするというのはすごいですね。「子育てがあるのでムリです」と断ることは考えなかったのでしょうか?


逆に「子どもがいて大変だから、チャレンジングな仕事は無理だよね」と、自分の意思とは関係なく、負担の少ない部署や職種に転向させられてしまう方が不信感を持ったと思います。「自分はやる気があるのに、なぜ?」と思ってしまいそう。だから「チャンスだ!うれしい!」と思えたというか(笑)

たまたま私は大きなチャンスや難易度の高い仕事に対してモチベーションを感じるタイプで、それは妊娠中でも出産後でも変わらない。きっとそれを会社が理解してくれていたんですね。個性を見た上での会社の判断、ということだと思います。私は仕事も子育てもあるからこそ、両方からエネルギーをもらって頑張ることができている。大変なことばかりではないんですよ。


― それでもやはり、「子どもを産んでも仕事ができるかな…」と不安に感じる女性も多いのではないでしょうか。


どちらかというと女性はリアリストで、人生のプランを逆算する人が多いかもしれませんね。まだその状況に対峙していないのに「もし子どもを産んだら、この仕事はできないんじゃないか」と不安が先に立って躊躇しがち。男性のほうがパッとチャンスに飛びつく傾向があります。

私は「見えない壁」と呼んでいるのですが、まだ実際にぶつかってもいないうちから「見えない壁」を勝手に想像し、自分自身で限界を決めてしまうのはもったいないこと。そんなにびくびくしなくてもいいんじゃないかなと思います。私の場合、「まずやってみよう。やってみてダメだったら、軌道修正すればいいじゃない」と考えてやってきました。

やり始めてしまえば、その中で最適なやり方が生まれるし、自分のキャパシティも広がっていく。私は今、子どものお迎えのため「18時に退社」という働き方をしています。以前に比べたら大きな変化ですが、その日々のデッドラインの中で、時間あたりの生産性や集中度を高めました。

最初は大変な思いをしながらやっていましたが、徐々に効率的に働けるようになって、そしてそれが「日常」になっていったんです。完璧主義になりすぎると続かないので、「これはやらない」ということを決めてもいいと思います。


― どうしても「石田さんが優秀だからできるんだ」と思ってしまいます(笑)


いえいえ、それぞれに合ったやり方を見つけていけばいいんだと思います。たとえば、家事や育児の一部も、外部サービスを積極的に活用しているママさんだっています。仕事や子育てに正解はない。女性は自分の価値観に合わせて、それぞれのスタイルを確立していけばいいと思っています。

一人ひとりの個性を生かしてチーム力を高める

石田裕子さん


― ”ママ”であることは、現在のマネジメントスタイルに影響していますか?


自分がママだから、女性だから、というのは特に意識していません。

「マネジメント」とか「管理職」という言葉のイメージが先行して、こうあるべきとか、こうしなきゃいけない、と敬遠する女性も多いと思うのですが、実際私も「マネジメントスタイル」を確立しているわけではありません。

ただ、私だけが一人で頑張っていてもしょうがないんです。チームでどう勝っていくかが大事。なのでチーム力を高めることは常に意識していますね。メンバー全員が、当事者意識を持って仕事に取り組めるようにしたいなと。

そのためにも一人ひとりの個性をよく見ています。人によって、モチベーションが高まるやり方は様々です。コミュニケーションの仕方も、100人いたら100通りある。課題点を指摘された方がやる気が起きるタイプもいれば、強みにフォーカスして伸ばした方が、結果的に弱みをカバーしながら目標達成できるタイプもいます。その人に合わせて接することが大事です。


― なぜそのようなマネジメントスタイルを取っているのですか?


「絶対にこれしかない」とか「自分が正解だ」と思っていないからです。むしろ、一緒に仕事をするメンバーが、自分と異なる価値観や考えを持っているからこそ、相乗効果を発揮できる。

異なる考えをどんどん吸収すれば、自分の選択肢を増やすことにつながります。その上で適切な判断ができることも多い。多様性を認める力も伸びていきます。結果的に、自分に返ってくるものだと思います。なので、自分の型に固執してマネジメントしているわけではありません。

「自信」を引き出すコツは、「目線を上げる」こと

石田裕子さん


― 続いて女性社員のマネジメントについて伺いたいのですが、「女性は男性に比べて自信がない」と指摘されるケースもあって。たとえば、そういう女性をどう伸ばしていくか…など。


これまでたくさんの女性社員をマネジメントしてきているので、その指摘はよく分かりますね。ただ私は、男性・女性に関わらず「目線を上げる」作業を、部下一人ひとりに対して行うようにしています。それがリーダーの役割の一つだと思っていて。

独りよがりの目標だと、絶対行き詰まるんです。自分の評価を上げたい、自分がこのスキルを身につけたい、自分がこのポジションに就きたい・・・という目線だと、それだけの成果しか出せない。そうじゃなくて、自分が生み出す価値が組織にどんな影響を与えるのか、市場にどんなインパクトを残せるのか、という目線を持つ。一人称ではなく二人称、三人称になっていくことが大切です。

私自身、「昇格したい」とか、「社長になりたい」という目標を掲げたことは全くないんです。社会人3年目くらいからリーダー的ポジションに抜擢されて、マネジメント経験は10年ほどになりますが、「自分の実力不足をどう補っていこうか」、「組織のリーダーはどうあるべきなのか」、「どうしたらチームで結果が出せるのか」、「もし自分が組織のトップだったらどういう判断をするか」と、経験していくうちに自然と目線が上がっていって、結果的にポジションがついてきただけ。今も、社長という役割に特別な気負いはなく、あくまで、この事業・チームを成功に導くことがミッションだと思っています。

男性に比べて女性のほうが自信がなく、管理職になることを躊躇しがち、というのは確かにあります。周りの管理職を見て、「あの人のようには働けない」と、勝手に選択肢を閉ざしてしまうケースは非常に多い。でも、目線が上がれば、「自分が主体的にどうしたいのか」を考える癖がつきます。そうすると、マネジメントする側の立場になったときの仕事の面白さややりがいも、自然と見えてくると思います。


― どうもありがとうございました。



文 = 柳澤明郁


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