19歳、長谷川カラム。いままさに頭角を現しつつある映像クリエイターだ。「高校生クリエイター」として光を浴びた彼は、大学生活の傍らフリーランスとして働いている。自身の実力不足に葛藤し、死に物狂いで働いた1年。そして今、新しい輝きを放ちはじめた。
取材日は晴天。待ち合わせ場所に、少し緊張した表情、そして人懐っこい笑顔で現れた長谷川カラム。身長180センチとスマートな外見に似合わず、やわらかい雰囲気を併せ持つ好青年だ。
彼は大学生であると同時に「映像クリエイター」としての顔を持つ。学生生活と並行し、映像作品をつくって生計を立てている。すべての生活費は映像制作によるもの。さらなる飛躍が期待される若手クリエイターの注目株だ。
自身の過去について語るとき、言葉数は決して多くない。逆に映像作品について話すときには、まるで子どものように雄弁に語り、生き生きとした表情を見せてくれる。
自分が「かっこいい」と思うものにまっすぐ向き合い、増幅させるために「映像」を介し、アウトプットする。その無邪気さ、高い純度で感動できる資質が彼の強みだろう。
彼がクリエイターとして頭角を現しはじめたのは、高校生の頃。自主制作のドキュメンタリーをイベントで発表し、大人たちを驚かせた。
ただ、高校を卒業し、19歳になった彼は葛藤していた。ストイックにこう語る。
「プロに見劣りするスキルしかないのに、いきがってた過去の自分が許せない」
いわば「映像で飯を食う」ようになり、自分の甘さ、弱さ、そして圧倒的なスキルの欠如に気づいたというのだ。仕事は途絶え、友達の家に居候していた時期もあった。
まるで「先の見えないトンネル」にいた長谷川カラムは、その先にどんな光を見つけたのか。どのように道を切り拓こうとしているのか。
等身大の19歳。今まさに映像クリエイターとしての道を歩きはじめた彼の姿を追う。そこには放たれはじめた輝き、もがき、悩みながらも前へと進む、ひとりのクリエイターの姿があった。
― はじめて長谷川カラムさんの映像作品を拝見したのは、3年くらい前だったと思います。新潟の職人さんたちのドキュメンタリーで。すごく高いクオリティだと感心したことを覚えています。
ありがとうございます。あのときはぼくはまだ高校生でしたね(笑)。じつはあの職人さん、高校時代の先輩のお父さんなんです。
職人さんって撮りがいがあるし、勉強そっちのけで作品作りに没頭して。その場にいることで味わえる「かっこいい」って思う瞬間をどう表現するか。同じ職人さんでも、撮り方ひとつ、機材ひとつ、レンズひとつで、全く違う表現になる。どうしたらかっこよく伝えられるのか、考えるのがすごくおもしろかったです。
― なんというか工房の空気感まで伝わってくるというか。
そういっていただけるのはすごくうれしいです。はじめて工房を訪れたとき、そこに漂う薄暗い雰囲気、職人さんの背中、作品をつくる技...目に飛び込んでくる光景すべてがワクワクして「わー!かっけー!!」ってテンション上がりました。
― 映像のつくり方は独学ですか?
はい。暇さえあれば、無意識に他の人の作品を見て、どうやって撮っているのか、どんな機材を使っているのかインプットしていました。
ただ、表現を追求するためには、撮り方や機材だけでなく、あのときは職人さんたちの「思い」にふれることがすごく大事なことだと思っていて。
職人さんたちって黙々と作業する頑固親父みたいな人が多くて、最初は話しかけづらかったんですけど、「どういうことやってるんですか」って聞くと、「いやぁ、よく聞いてくれた。これはな~」って超生き生きと教えてくれました。
― 「人との関わり」も作品の世界観に落ちていると感じます。カラムさんご自身にとっても「映像を撮る」という行為は特別なもの?
いま思えば、映像はぼくの中にある自己表現のツールだったんだと思います。
もともと6歳までイギリスに住んでいたのですが、両親の離婚を機に新潟県の燕三条に移り住んできて。はじめは言葉の壁があり、なにより「ハーフだ」っていじらるのがすごくイヤで。友達もいないし、小学校から中学校にかけてめちゃめちゃ荒れていた。
そんなとき、たまたまデジカメを触る機会がありました。イギリスに住んでいる父のもとに会いに行って、一緒にキャンプをしたときの様子を動画でとって、夏休みの自由研究として学校に提出したんです。
そのとき、カメラのことなど何もわからないから、ただ撮って適当にまとめるというくらい。でも、すごく楽しくて楽しくて。中学生になってから、おこづかいをコツコツためて、自分のカメラとレンズを買うことができました。この頃にはもう映像づくりに夢中でしたね。
― そして、高校時代に発表したあの職人の映像作品となるわけですね。
そうですね。小学生の頃からおこづかいを貯金し続け、ようやく高校生になってからMacと一眼レフを買えたんです。一眼レフが10万円くらい、Macも10万円くらい。当時のぼくにとってはあまりに高すぎる買い物で…貯金を使い果たしました(笑)
でも、そのくらいほしいものだったんです。もしかしたら「撮る」ということが自分のアイデンティティになっていたのかもしれない。もし映像をやっていなかったら今頃どうなっていたんだろう、そんな風に思うこともあります。
― 高校生のうちに注目され、まだ19歳。まわりから結構ちやほやされたりも?
いやいや、ぜんぜんそんなことはありません。大学に進学してから、フリーで仕事をしていこうと考えていたのですが、思い描いていた仕事がなかなかできない時期もありました。
お金はなくなるし、友達の家に居候して。字幕を入れる仕事だったり、誰にでもできるようなカンタンな編集作業をしたり、稼ぐためにもなんでも引き受けていました。プライドもなにも関係なく。
― 飲食店だったり、コンビニだったり、普通のアルバイトをするという選択は?
時給900円~1000円のバイトだと、家賃や生活費を賄うことができないんですよね。高校生のときから映像制作の依頼もあったし「フリーでやれるんじゃないか」と。むしろそれで人よりも多く稼がないと生きていけない。
― でも、現実は甘くなかったと。
そうですね。実力なんてこれっぽっちもないのに、映像で食べていけると甘い考えを持っていました。そのときに気づいたんです。「高校生だから」という理由で、おもしろがってもらって声を掛けてくれていただけなんだって。
高校時代に仕事をもらえたとき、友だちと「会社つくって仕事を引き受けていれば、俺ら生きていけるな」って話をしてたんですよ。ホントに世間知らずで恥ずかしいし...ダサいですよね。
― なぜ、ダサいと思うのでしょう。高校生のうちに単発でも仕事がもらえて、結果を出している。すごいことだと思います。
なんていったらいいんだろう…プロに見劣りするスキルしかないのに、いきがってた自分が許せないんです。会社やろうなんていっときながら、請求書の書き方、金額の提示の仕方、メールの打ち方も分からない。無給でボランティアの仕事も引き受けたり、機材だってレンタルすればいいものを全部自分の機材でやろうとしたり。「それでプロっていえるのかよ」みたいなことばっかりやっていました。
もしかしたら「表現で食べていくということ」が理解できていなかったのかもしれません。1年前の自分に「お前、ダッセェよ」「まだまだやるべきことがあるぞ」って言ってやりたい。
クリエイターとして生きていく、その覚悟を持って自分の実力で勝負したいです。“プロフェッショナル”として、キレイごとだけでなく、ちゃんと稼げるようにならなければいけないと強く思っています。
― 同時に…単に稼げたらいいというわけではないですよね?
そうですね、やっぱり自分が面白そうだなと思う場所で求められる人になりたいです。いま、地方の仕事や、音楽のライブパフォーマンスなど、少しずつやりたいと思う仕事に声を掛けてもらえていて、それがすごく楽しいです。この1年、生活のためにやりたくない仕事をやってきたからこそ、自分がおもしろいと思う仕事に呼んでもらえることってすごく幸せなんだと身をもって知りました。
最近だと、映像だけでなくWebサイトやブランディングなど、いまさまざまな仕事にも関わる機会をいただけてるようになってきました。職種の幅を狭めず、いろいろチャレンジしていきたいと思えるようになりました。
あとは「誰でもいいから映像を撮れるやつ」じゃなくて「あいつがいると面白くなるから呼ぼうよ」ってぼく自身を評価して、声掛けてもらえるようになりたい。ここは、ずっと忘れずに大切にしたいです。
― カラムさんがこれからどんなふうに羽ばたいていくのか、とても楽しみにしてます!本日はありがとうございました。
文 = 野村愛
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