全国どこにでもタクシーを呼べるスマートフォンアプリ「全国タクシー配車」。このアプリを開発したのは創業85年のタクシー会社・日本交通グループだ。老舗企業が起こしたイノベーションの背景には、エンジニアの“危機感”と“サービス愛”、そして徹底した“ユーザー視点”があった。
スマートフォンのGPS機能を利用して、タクシーを呼ぶことのできる「全国タクシー配車」アプリが人気だ。2011年1月に日本で最初のタクシー配車アプリとして誕生して以来、その利用エリアは日に日に拡大しており、現在、45都道府県で約2万台のタクシーをカバー。90万DLを記録する大ヒットアプリとなっている。
そして驚くべきなのは、このアプリを開発したのが、創業85年を誇るタクシー会社・日本交通グループの《日交データサービス》だということ。IT・WEB業界ではない老舗企業が、大ヒットアプリを自社開発できた秘訣とは何か?アプリ開発の構想段階から携わってきたプロジェクトリーダー、亀井氏に話を伺った。
― どのような経緯で「全国タクシー配車」アプリは生まれたのですか?
2010年の夏頃、弊社代表の川鍋から、「スマートフォンで何かしたいよね」という話があったんです。当時は、スマホゲームが流行し始めた時期。ゲームを作ろうというアイデアもあったんですが、試行錯誤の末、タクシー配車サービスに落ち着きました。
当時、既にASPを利用してフィーチャーフォン向けの配車サービスを展開していたのですが、それがとても使い勝手の良くないものでして…。地図の操作性が悪いし、会員登録とか面倒臭い手順もあったんです。これを使いやすいサービスにすれば、もっと便利になるのにと私たちは考えました。地図の操作性もアップして、タクシー料金の検索機能も追加。面倒な会員登録は排除して、ダウンロードしたら無料でスグに使えるように。そうして生まれたのが、2011年1月にiOS版でリリースされた「日本交通タクシー配車アプリ」です。
日本で最初のタクシー配車アプリということもあり、反響も非常に大きかったです。リリース1週間後には、AppStoreの旅行カテゴリで1位になっていてびっくりしました。
それからAndroid版もリリースして、「私の住んでいる地域でもやってほしい!」というユーザの声に発奮。2011年12月にはサーバー側をクラウド化して、「全国タクシー配車アプリ」をリリースしました。リリース当初、10都道府県で約8千台からスタートしたサービスも、今では45都道府県の約2万台(全国のタクシーシェア10%)まで拡大しています。
― 外注するのではなく、自社で開発しようと思ったのは何故なんですか?
外注すると、いざ修正したいと思った際に、柔軟性や迅速さが無くなってしまうんですね。ご存知のとおり、WEBサービスの開発は、リリース時はスモールスタートで、徐々にバージョンアップしていくのが主流です。改善のたびにいちいち見積もりを取って、その都度、費用を払うのも面倒。だったら自分たちで作っちゃえば?というのが、自社開発を始めたきっかけです。
まず、私一人でiOS版の開発を行なったのですが、社内には1台もMacが無い状況からのスタート。個人的には、35歳からObjective-Cを勉強しながらのアプリ開発で、エンジニアとして更に技術に貪欲になるきっかけにもなりました。
― 老舗企業って新たな試みに奥手だったり、なるべく自社でリスクを負いたくないと考えることも多いように感じます。
もともと日本交通の基幹システムなど、自社内のインフラ・ネットワークを自分たちで作っていたので、そんなに後ろ向きじゃなかったんです。
また当時は、日本交通の基幹システムだけに携わる環境を脱出したいという想いもあって、せっかくのチャンスなら挑戦したいという意気込みもありました。
極端な話、自社内開発を手掛けるエンジニアって、厳しい納期に追われることのない分、緩慢な開発部隊に陥ってしまう危険もあるんです。いたずらにコストだけがかかる集団になってしまわないように、当時、エンジニア全員が危機感を持っていたというのも事実。このことも、「自社開発で進めよう」といった勇断をする1つのきっかけになったと思います。
― では自社開発を進めていて、良かった点は何ですか?
うーん。自分が作ったアプリに対して、大きな愛情を持てるといった点でしょうか。
実は、最初のアプリ「日本交通タクシー配車」をリリースした時に、他のタクシー会社さんから「システムのソースコードを丸ごと売って欲しい」という依頼があったんですね。弊社代表の川鍋から「どうする?」と聞かれた時、断固として反対しました。自分が作ったシステムは、いわば自分の子どものようなものですし、もっと良いサービスに育てていきたいという愛情も芽生えていたんですね。じゃあ、せめてクラウドサービスにして、全国各地のタクシー会社さんもお手軽に利用できる環境を作ることで、タクシー産業全体を盛り上げようと生まれたのが、「全国タクシー配車アプリ」でした。
自社開発は子育てに似ているんです。愛情を注げば注ぐほど、より良いサービスに育っていきます。ですから、プロモーション企画やユーザーヒアリングなど、開発以外の事も自分たちで行なうんです。その感覚は、受託開発のエンジニアだったら絶対に味わえないもの。極端に言えば、受託開発の場合、そのサービスがヒットしようがしまいが関係ないんです。納期にさえ間に合えば、大丈夫なわけですから。他人の子どもに対して真剣に愛情を注げる人は、なかなかいませんよ。
― 開発で特にこだわっていることはありますか?
まず、タクシー配車というサービスが、リアルな世界と密接につながっているという視点が重要です。例えば、お客様からクレームや問い合わせが合った場合、ECサイトのように、お問い合わせフォームに送られてきた意見に返信するだけではすまないんです。お客様自身が営業所やタクシードライバーに対して、「システムでタクシーを予約したのに、時間通りに来なかったじゃないか!」と、直接仰ることも大いにあり得ます。エンジニアは、その視点も分かっていないとダメなんです。
だから、ウチのエンジニア達はずっとPCの前にいるだけでなく、できる限り現場に出て、タクシーを使うお客様の気持ちやドライバーの視点に立って、物事を考えるようにしています。
例えば、お取引先企業から、大口のタクシー台数の依頼があった時、エンジニアが現場会場に出向き、タクシーの誘導を手伝いに行くこともあります。また、月に数回は、日本交通社員と同じようにエンジニアもタクシーに乗って、配車サービスの品質チェックなども行なっています。
雨の中、お客様はどのような心境でアプリを使ってタクシーを呼び、到着を待っているのか。タクシードライバーはどのような状況下で、お客様先にタクシーを向かわせているのか。
自分たちがつくったアプリが、世の中にどのような影響を与えているのかを知ることは、より良いサービスをつくるために重要だと思っています。“現場のことを熟知して、システムを作っているかどうか”、ここに、受託開発と自社開発との違いがあるのではないでしょうか。
「日本交通タクシー配車アプリ」も「全国タクシー配車アプリ」も、現場を直に体感したエンジニアが開発しているからこそ、多くのお客様に愛されるアプリになったのではないかと考えています。現場のことを知れば知るほど、付加していきたい機能はたくさん増えていきます。もっと愛されるタクシー配車サービスを、これからも自分たちで育てていきたいですね。
(つづく)
▼《日本交通》代表 川鍋一朗氏へのインタビュー
老舗企業にこそ、エンジニアの活躍の場がある―創業85年《日本交通》川鍋代表からの問題提起。
[取材・文]白井秀幸 [撮影]松尾彰大
編集 = 松尾彰大
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