ツイキャス開発者・赤松洋介氏へのインタビュー第2弾。大企業から研究職、スタートアップ企業の成長期、そしてエンジニアとしての起業というキャリアを歩んできた彼は、一体どんな考えのもと自身のキャリア選択を行なってきたのだろうか?エンジニアのひとつのキャリアモデルを探った。
▼モイ株式会社・代表の赤松洋介氏へのインタビュー第1弾
ユーザーの行動をコードに変えて|モイ!ツイキャス・赤松洋介に学ぶヒットサービスの要件[前編]
400万人以上のユーザーを抱えるまでに急成長しているライブストリーミング配信サービス《ツイキャス》を生み出したのが、モイ株式会社・代表の赤松洋介氏だ。
これまで数多くのWEBサービス・ソフトウェアを輩出してきた赤松氏へのインタビュー第2弾として、彼のキャリアにフォーカスを当ててみたい。
まずは経歴を簡単に振り返っておこう。京都大学大学院を卒業後、オージス総研に入社。すぐにスタンフォード大学へ客員研究員として赴任し、Digital Library Projectにおいてオンラインペイメントシステムの研究に1年にわたり携わる。その後サイボウズに転職した後、サイドフィード(ツイキャスを運営するモイ株式会社は同社から分社)を創業している。
大企業から研究職、スタートアップ企業の成長期、そしてエンジニアとしての起業。赤松氏は一体どんな考えのもと、自らのキャリアを歩んできたのだろうか。インタビューからエンジニアのひとつのキャリアモデルを探った。
― 起業前にはスタンフォード大学に赴任されるなど、かなり珍しい経験をされていますね。そもそも、コンピュータ・プログラミングとの出会いはいつ頃だったんでしょうか?
PCとの出会いはかなり早い方で、小学生の頃から自宅にPCがあり、すぐにプログラミングを始めました。中学生の頃は技術雑誌のライターなどをやって、毎月数万円の小遣いを稼いでいました(笑)
少年時代は、まだLinuxもない、NECのPC-8001が登場した頃。もうどっぷりコンピュータにハマりましたね。ところが高校生の時から大学3年まで、コンピュータをほとんど触らなくなったんですよ。
― 何か理由があったんですか?
普通の高校生・大学生と同じように遊び呆けてました(笑)。大学4年になり、研究室へ入ってからやっと、数年ぶりに触りだしたのですが、その時には既にLinuxが登場していて。UNIXでこんなものがあるんだと、改めてハマっていきました。また専門誌で連載を始めたのもその頃です。
― 卒業後、オージス総研に入社してから、すぐにスタンフォード大学へ。どんな経緯で?
オージス総研ではアメリカのソフトウェア企業と取引をしており、プラグインなどを開発していました。その関係で新入社員でも度々、アメリカの取引先に間借りしていたオフィスに出張に行っていたんですね。ところが、取引先の会社が急成長し、オフィスから出て行けと言われたんです。そこで、新たに自社でオフィスを構え、誰かが駐在しなければいけなくなって。そこで「私がいきます!」って手を上げたことがきっかけです。
でもビザがすぐに用意できないことがわかって…。よくよく調べると、スタンフォード大学に客員研究員に応募すると、ビザ出るという話を聞いて。申請費用は会社が負担してくれたんですが、後で聞いたらすごい金額でした(笑)。幸運にも会社の理解があって、非常に早い時期に渡米することができました。アメリカでは、昼は大学で客員研究員、夜は会社の駐在員という2足のわらじを履いて1年過ごしました。
― スタンフォード大ではどんなことを?
Digital Library Projectというものに携わりました。世の中にある全てのドキュメントのデジタル化を試みたり、情報を収集してより検索性を高めよう、というようなプロジェクトです。私は研究目的で渡米したわけではなかったので、最初はないがしろに扱われそうになったのですが、「是非参加させてくれ」と頼み、主にオンラインペイメントシステムの研究に取り組みました。
― 帰国後、創業まもないサイボウズへ転職された背景は?
もともと、将来的には起業してみたいと思っていたんです。オージス総研クラスの大企業もある程度分かったし、そろそろ起業しようと考えていたところでした。
そんなタイミングで、たまたま友人から転職相談を受け、友人の転職先を探してたんです。そこでサイボウズという、すごく面白そうなベンチャー企業を見つけて。「これはもう自分が行くわ」って(笑)
サイボウズで自ら手を動かしていたのは、実はほんの数ヶ月。すぐにプロジェクトマネージャーの立場で、採用やチーム作りを主に担当しました。入社した時のサイボウズはまだ10人規模の会社、そこから数百人規模になり上場まで経験しました。いま振り返ると、サイボウズで成功の連続でしたね。会社の勢いとともに自分でもいろんな経験をして。
― その経験をされて、なぜ起業の道を選んだのでしょうか?
もともとサイボウズって直販形式で、エンドユーザーさんに直接サービスを届けることに注力していていたんですね。ただ、企業がだんだん大きくなってくると、代理店を通して買いたいというお客さんも増えてきて。それぞれの企業に合わせてカスタマイズして納品しなきゃいけなくなることが増えてきたんです。
そうすると今度は、入ってくる要望が、エンドユーザーさんの要望ではなく代理店の要望になってくるんですよ。「この機能入れたほうが売りやすいからカスタマイズして」というように。もちろん会社を大きくする上で必要だし、カスタマイズすることで満足するエンドユーザーの方もたくさんいらっしゃる。ただわたしは「本当にユーザーはこの機能を欲しているのかな」という思いも抱き始めてしまって。
私自身、ダイレクトマーケティングに強い興味があったんです。ちょうどその当時、feed meterなどを個人で開発して、直接多くのエンドユーザーさんに使っていただける体験をし、これはもうチャレンジしようと。
― 起業後はすんなりうまくいったのでしょうか?
いえ、起業に関しては考えが甘かったですね。1年は鳴かず飛ばずで、資本金を減らすのみの生活を送りました。その後、一人になって再出発したのですが、そこで改めて、自分の得意な領域である「ユーザーの求めるサービスを早く作って、ユーザーを多く集めること」を意識してサービスを開発し始めると、業績も順調に回復してきて、ツイキャスの開発につながっていきます。
― いまだ最前線で活躍されている赤松さんですが、自身のキャリアを今振り返ってみると?
そうですね…。まず転職に関しては、「転職しなければ、レールに沿うだけの人生」になってた可能性が高いと思うと恐ろしいですね(笑)。やっぱり“変化”を求めてよかったなと思います。
いわゆる日本的な大企業だと、30歳を越えた頃には「何歳には年収いくらで…、退職金がこれくらいで…家をかってもこれくらいでローンを返せて…」と計算ができてしまうといいます。この状況を、自分は幸せだと思えなかったんですね。
やはり、「先が見えてることをやっていくのはつまらないな」と。そう考えると、つらい時期もありましたが、サイボウズへの転職、サイドフィードの起業、ツイキャスの開発が出来たのは幸運でしたね。
― “幸運”というと、運が大事だと?
運といいますか…、「先が見えない」から、どんな結果になるのかはやってみないとわからないワケです。先の見えない選択を何度もしてきたからこそ、今の自分のキャリアがあると思います。
― チャレンジした結果、幸運を掴んだと。宝くじは買わなきゃ当たらないということですね(笑)
そうですね(笑)。もちろん運をたぐり寄せる努力や忍耐は重要ですよ(笑)。先の見えないことは不安ですが、決まってるものをみるより楽しいし、やりがいがあります。ツイキャスもこれからの自分のエンジニアキャリアも、よりよいもの、楽しいものにしていけたらと思います。
(おわり)
[取材・文] 松尾彰大
編集 = 松尾彰大
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