2012.08.07
「文化としてのゲームの価値を高めたい」ゲームデザイナー 石田礼輔の視点。[後編]

「文化としてのゲームの価値を高めたい」ゲームデザイナー 石田礼輔の視点。[後編]

《スペースインベーダー インフィニティ ジーン》《GROOVE COASTER》で知られるゲームクリエイター 石田礼輔さん。インタビュー後編では、現在のゲーム業界が抱える課題とこれからの可能性について、考えを伺った。

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マネタイズしたいのか、最高のエンターテイメントを生み出したいのか。

ミーティング

― 最後に、ゲーム業界が抱える課題と今後の可能性についてお話を伺えればと思います。まずソーシャルゲームの登場は、コンシューマゲームにどのような影響を及ぼすとお考えですか?

個人的には、ソーシャルゲームの作り方は進んで参考にしていきたいと思いますし、いかにマネタイズをしていくかという点でも参考にすべきだと思っています。

ただ、どんなものでもそうだと思うのですが、いまのソーシャルゲームの形もあくまで一過性のものだとも思っています。いくら気持よく感情が揺さぶられ、ビジネス的にも成功していても、同じものをずっと繰り返していくとユーザーは必ず飽きるからです。そうなってしまったときに、どれだけのクリエイターが「ゲームがエンターテイメントである」ことを意識できているのか。それが最も重要な問題です。エンターテイメント的な観点を忘れ、ゲームをマネタイズの観点でしか見れなくなっていると、そこから生まれるのはもうゲームじゃない。ゲームが、ゲームじゃないものにどんどん変わっていってしまうと思うんです。

そういう意味で、これからのゲーム業界に問われているのは開発する側の意識だと思っています。ソーシャルゲームと同じようなプロジェクトを立ち上げようとしたときに、単に「お金儲けのために作ろう」とするのと、「最高のエンターテイメントを作ろう」とするのとでは、生まれるものが全然違ってくると思うんですね。ゲーム業界として目指すところは、絶対的に後者。エンターテイメントとして面白いというのがまず大前提で、その上でビジネスとしても成立するものを生み出していかなければならない。ユーザーが求めているのは、別にビジネスモデルがきれいなものではないんですよ。そこが本末転倒になっちゃうと絶対にダメ。

そこですごく重要になってくるのが、ユーザー目線になること。実際にゲームを作っている人なら分かると思うのですが、開発者側の都合であったり、ビジネス上の都合ってなかなか捨て切れません。ユーザーは多分イヤだと思うだろうけど、こっちにも都合があるし、しょうがないよねって。その「しょうがないよね」をどれだけ切り捨てて、どれだけ単純に自分のゲームを「いちユーザー」として見ることができるかだと思うんです。開発側の都合は分かるんだけど、ユーザーとしては絶対的につまらないよねという部分があれば、排除するなり別の方法を出すなりする。一度、「作り手としての自分」を忘れるようにしないとダメだと思いますね。

ゲームの価値を、映画や音楽、文学、アートにだって負けないものに。

石田さん右

― これからのゲームに求められるものとは一体なんでしょうか?

コンシューマーやモバイルをはじめ、プラットフォームに限らず、ゲームはもう普通にパッケージとして発売してもなかなか手に取ってもらえなくなってきています。その状況の中で、ユーザーからいかにして対価を得ていくか、そしてその仕組みをいかにエンターテイメントと融合していくかが、これからのゲームが追求していかなければならないテーマだと思います。

その答えの一つになるかは分からないのですが、僕が重要だと思って意識的にやっているのは「ゲームの価値がゲームの中だけで終わらないようにする」ことです。ゲームを遊んで面白かったねで終わるのではなくて、「何か得るものがあった」とか。そのゲームをプレイすること自体がクールで、周りから「かっこいいと思われるようになる」とか…僕は「ファッションアイテム的な感じ」と言っているのですが。または単純に友人と話すときの良い話題になるとか。

それを意識するだけで、クリエイターのアウトプットはかなり変わってくると思うんです。ゲームは面白ければいいんだというのは、もう過去の話。今の世の中、ゲーム以外にも面白いものなんてたくさんあるわけです。だから面白いのはむしろ当然で、問題は「それが自分にどんな価値を与えてくれるのか」というところ。「このゲームはキミをかっこよくするぞ!」とか、そんな価値のあるゲームだったら欲しがる人も多いですよね。

かっこよく言えば、僕は「ゲームの文化的価値」を高めたいんです。映画だって昔はただの娯楽でしかなかったけれど、リアルな世界での価値みたいなものを志向するようになって、今では「映画を観ることは単なる娯楽ではない」という意識が広く根づいています。文学なんて特にそう。読書している人って、それだけで知的なイメージになりますよね。映画、文学、アート…。そういったものとゲームが横並びになるようにしたいんです。

僕が子供の頃は、ゲームって目が悪くなるし頭も悪くなるって、どちらかというとやったらダメなものだとされていました。当時と比べると世の中も変わってきて、ゲームを文化的にみる見方も少しは生まれてきていますよね。その流れをさらに進めていって、極端な話、「もっと本を読みなさい」というのと同じように「もっとゲームしなさい」というのが当たり前になるようにしていきたいです。

石田さん左

― どういうゲームが、文化的価値のあるゲームなのでしょうか?

うーん、難しいですね…。それにその言葉以上に精密に限定していくと、逆にずれてしまう気がしていて。例えば映画にもいろんな映画があるじゃないですか。決して、特定の映画だけが文化的価値があるというものではないと思うんです。それと同じで、ゲームの文化的価値というものを限定的に捉える必要はないと思います。

だから説明するにしても一側面しか言い表せないのですが、その前提で例えばアート的な観点から文化的価値を定義すると、僕はアートの定義を「価値観を革新するもの」だと思っています。それまで良いと思っていなかったものが、実は価値を持っていると気づかされるとか。文化的価値ってそこに近いんだと思います。自分の価値観を変えてくれるもの、今までにない発想を引き出してくれるもの。

《GROOVE COASTER》だったら、単にラインで絵がかかれているだけのグラフィックで「しょぼい」という見方もできると思うんです。だけど、「洗練されている」と感じた人もいると思う。それまではもっと精緻に描き込まれているグラフィックのほうが絶対にいいと思っていたのに、《GROOVE COASTER》をプレイしたことで考えが変わったのだとしたら、それは価値観が変わったということ。そういう体験を提供できるゲームを作ることが、ゲームの文化的価値を高めるという目標に対する一つのアプローチだと思っています。


(おわり)


編集 = CAREER HACK


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