2012.09.14
《リアル脱出ゲーム》仕掛人に学ぶ、“ヤバい”ゲームの作り方。[前編]

《リアル脱出ゲーム》仕掛人に学ぶ、“ヤバい”ゲームの作り方。[前編]

いま、若者を中心に人気が高まっている《リアル脱出ゲーム》。老若男女を問わずあらゆる参加者を虜にするゲームは、どのような考え方のもとで生み出されているのか?仕掛人である株式会社SCRAP代表 加藤隆生さんを直撃し、そのゲーム観やゲーム制作の方法論に迫った。

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「謎を解き、脱出する」大人たちが熱くなる参加型イベントゲーム。

コンシューマゲームの不調が叫ばれ、ソーシャルゲームにおいても激しい競争が繰り広げられている昨今。ゲーム制作を取り巻く状況が厳しさを増す中、従来のゲームとは全く違った切り口から生まれた“あるゲーム”が人気を集めている。株式会社SCRAPが企画・運営する《リアル脱出ゲーム》だ。

2012年4月に映画「宇宙兄弟」とのコラボレーションによる『月面基地からの脱出』では3万人が参加。参加者のクチコミやオフィシャルでのネタばれUSTも含めて大きな話題となった。中国や台湾などアジアでの開催も好評を博し、米サンフランシスコへも進出。最近ではスマホアプリを活用するなど“バーチャル”や“リアル”といった枠組みにとらわれない新しいゲームの可能性に挑戦している。

ここ数年「ゲーミフィケーション」という言葉に代表されるように、ビジネスや教育といった分野でもゲーム的な方法論が注目されるようになった。いわゆるコンシューマやソーシャルなどのゲーム制作現場だけではなく、あらゆるところで注目される“ゲーム”。一体どうすればプレイヤーを取り込むことができるのか。そもそもゲームをゲームたらしめているものとは何なのか。その本質に迫った。

クエスト達成時の"感情"まで含めたゲームデザイン。

― 最近ビジネスや教育などでも「ゲーム的な発想」を取り入れる動きが出てきて、世の中に“ゲームらしいもの”が増えてきたように思います。一方で、その全てを「ゲーム」と呼んでいいものか疑問でもある。加藤さんはそもそもゲームをどのように定義していますか?


加藤さん01

プレイヤーが求められていないのに動き出す、能動的にアクションを起こしている状況は、もうゲームだと言って差し支えないんだと思います。だから一般的にゲームとして見られていないものでも、捉え方によってはゲームになり得る。たとえば僕が以前、印刷会社で営業をやっていたときのことですが、「とりあえず新規で契約をあげてこい」と言われて、いきなりパッと外に出たことがあったんです。その時に「まるでRPGみたいだな」と感じた。はじめは何も指示がないからどうやっていいかわかりませんでした。でも、そこから、所持金はいくらあるだろう。企画書は武器になるな。人脈を伝っていけばミッションクリアに近づけるんじゃないか。こんなふうに自分で考えて動いていくとゲーム性が高まっていくんですよね。考える要素がなくて指示された作業をこなすだけだったらゲームにはならない。「能動的なアクション」こそがゲームをゲームたらしめている条件だと思います。


― なるほど。ただ、難しいのはその状況を他者が意図的に作り出すこと。一体どのようにして「能動的にアクションを起こさせる状態=ゲーム性」を作るのでしょう?


目的を明確にする。フィールドとルールを決める。クエスト達成時の感情まで考えてゲームをデザインする。この3つがポイントですね。『ドラゴンクエスト』なら世界を平和にするという目的があり、次々とモンスターを倒し、レベルをあげて、ボスに挑むのが楽しい。『ぷよぷよ』なら同じ色を揃えるのが最初のクエストで、次に連鎖させる。その次は時間内でのクリアを目指したり、対戦相手と勝負したりする。クエストに挑む。達成する。自動的に次のクエストが用意される。また達成する。その積み重ねで特別な感情が生まれてくる。この達成感や高揚感、緊張感など湧き上がる感情までパッケージとしてゲームをデザインしています。

あとは「プレイヤーに悟られず、時間と空間における制約を増やしていく」というのも作り方の基本かと思います。《リアル脱出ゲーム》ではそれをものすごく意識的に組み込んでいて、例えばひとつの部屋に初対面の人たちを集めて、決められた時間内で作業をしなければならなくするとか。すると、必然的に見ず知らずの人に話しかけなきゃいけなくなりますよね。迷う余地がなく、能動的に動くしかない状況にするんです。そうして不自由な状況の中でコミュニケーションを取りあって、同じ困難を乗り越えた人たちの中には、最後に“連帯感”や“達成感”という特別な感情が生まれます。そうして、そのゲームがその人たちにとって“忘れられない”ものになるんです。

たとえば男女二人ずつのグループがあってお互いの仲を深めたいのであれば、極端な話、飲み会なんかするより、「制限時間を決めて、ひとつの部屋で封筒にシールを貼り付ける」という作業をやるほうがいいんですよ。おそらく、この四人は自分たちで進め方や役割分担を決めて動いていきますよね。途中で「何枚まで出来た」という達成感が積み重なっていきます。そしてミッションがクリアできた時には、一緒にやり切った仲間という連帯感が生まれるわけです。

ゲームは疑似体験。現実より楽しくないと意味がない。

加藤さん02

― 加藤さんにとって、理想のゲームをあげるとすると?


僕の場合は、もう圧倒的に『ドラゴンクエストI』ですね。小学生の頃ハマりにハマりまくった「ドラクエ」が原体験になっています。自分で物語を切り拓く、自分が主人公になるところが衝撃で。少年ジャンプで「キミがゲームの主人公になれる」って広告を見た瞬間に、「これは買わなきゃ!」って決めてましたから(笑)

で、当然発売日に買った…というか買ってもらったんですけど、僕の家はゲームは1日1時間って決められていて。だから1時間やったら、もうあとの23時間はドキドキしっぱなしなんです。ホントに一日中ドラクエのことしか考えられなかった。次はどんなモンスターが出てくるんだろう。どんな出会いがあるんだろう。興奮してしまってリアルに眠れなくなってしまって(笑)。漠然とあった「こんなゲームがやりたかった」という願望が、そのままカタチになっていたんです。稲妻が走ったような衝撃を今でも覚えています。

映画や小説だと主人公に感情移入はできるけど、自分が主人公にはなれないじゃないですか。いくら「ラピュタ」に憧れたって、どれだけ待っても空から少女が降って来て、飛行石をめぐる冒険には出れない(笑)。でも、ゲームだったらそれができるわけじゃないですか。なかなか日常生活で自分が主役と思えることは少ないけど、ゲームだったら登場人物の気持ちとシンクロできるし、かぎりなくその気持ちに近づくことができますよね。「パズーもこんな気持ちだったのかもしれない」と。

だから、ゲームは現実より面白くないとダメだと思う。毎日の生活を軽々と飛び越えて、自分が主人公の物語に入り込めるインターフェースというか、それがゲームの役割なんだと思います。

ファミコン時代のマスターピース「テニス」に見る、ゲームの真髄。

加藤さん03


― とすると、ゲーム制作は実際の世界を超えた面白さを提供するための作業だと?


そう思いますね。だから僕自身、未だにすごい発明だと思っているのが、コントローラーの「十字キー」。僕らが普段生活していて、右に進もうと思ったらパッと右を向けるじゃないですか。同じことをゲームでやろうとしたときに、わざわざコマンドを出してコマンド選択で「右へ進む」を選んでようやく右を向けるというのでは、「実際のリアルな世界のほうが楽しいよね」っていうことになってしまう。そうなると、もうゲームの存在価値ってなくなっちゃうんです。実際の生活より楽しくてこそ、実際の生活では得られないものを得られてこそのゲームだから。

たとえば、ファミコン初期のソフトで「テニス」っていうゲームがありますよね。あのゲームには「テニスよりもテニス的な体験をすばやくさせる」というコンセプトがあるように思えます。テニスっていうスポーツの面白さを実感するには、実際ある程度時間が必要じゃないですか。どのスポーツもそうだと思うんですけど、2年間くらい基礎トレーニングして初めて面白さが分かるというか。でも、ゲームならその面白さをもっと早く体験できるようになる。だからこそ「テニス」というゲームには存在価値があるんだと思うんです。これこそゲームの真髄だと思います。


(後編につづく)

[後編]はこちら


文 = 白石勝也
編集 = 松尾彰大


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